約2週間ひどい気管支炎に悩まされたため思うように声が出なく、今回はお出掛けくださった皆様をがっかりさせる事となりましたが、用心しながらも全力を振り絞って下記のようなレクチュア・コンサートを終了する事が出来ました。この原稿以上に脱線した話をしましたが、肝心な事は下記の通りです。

第7回 レクチュア・コンサート

2003年10月22日

Franz Schubert D-795 "Die Schöne Müllerin" Op. 25

美しき水車小屋の娘  第二回

第12曲より第20曲まで

バリトン:川 村 英 司

ピアノ:小 林 秋 恵

 

 前回の「美しき水車屋の娘」第一回に続き、今日は第12曲より話しを進めますが、その前に僕の知り合いで面白い表現をした全くの素人の「声楽観」と言いますか批判を紹介したいと思います。

 曰く「詩と言うものは朗じるもので、吟じるものではないでしょう!しかし大雑把に言って芸大声(げいだいごえ)は歌うのではなく吟じているのではないでしょうか。」「あの声の出し方では詩を朗じることはできないで、吟じるだけでしょう!」と言うのです。このような表現ははじめて聞きましたし、とても分り易い良い表現なので、早速「その表現は使わせてもらう!」ことにしました。

 今からもう既に41年も前になりますが、ヴィーンの留学生活から戻ってきた時に、日本の声楽界は必ずや良い方向に向かうと信じておりました。しかし現状は悪い方向に行っています何故なのでしょう。くだらない日本の権威主義崇拝が音楽だけでなく総て日本を狂わせているのです。

 所謂「毎コン」の声楽部門は完全に「吠えコンクール」ですし、その吠え方も騒音計で測れば決して正しい結果が出るとは限らないように思います。数年前に一度だけ1位入賞者のコンサートを聴きに出掛けましたが、先ず音楽としてのレベルの低さに唖然としました。唯一音楽があるなと感じられたのは少し歳がいったホルン奏者だけでした。ピアノもヴィオリンも何故?という程大曲に挑み砕けているのです。全く魅力のない出来映えでしたが1位なのです。

 歌はドイツ語のニュアンスの表現以前の発音がそもそもいい加減なのです。正しく発音が出来ないで、正しい表現はありえません。勿論間違った発音は第一線で活躍していると言われている歌手でさえ、しかもドイツで勉強してきた人でさえ、規則に則らずに発音しているのが日本の現状です。先生に注意された部分は多少直っているのでしょうが、それを応用する事が全く出来ていないのです。発音の規則すら守れないのです。我々は小学校に入学して最初に先生から「1を習って10を知るのが勉強ですよ!」と教わったのですが、不思議な事に何故か「10を習って1を知る」方法なのです。

 当たり前の事ですが、今の子供(大学生以上ですから大人なのですが)にはその基本が出来ていないのです。

 僕のホームページに声の事、音楽の事など色々掲載していますので、僕が何を考えて声楽に取り組んでいるかお分りいただけると思います。お暇な時にお読み下さい。

 脱線しましたので元に戻ります。

 

第12曲のPauseから始めます。

 最初に全集版で歌い、続いてVogl版で歌いますので違いを記憶して頂ければ幸いです。

 先ず問題は前奏の3、4、7小節と44、45小節と最後の2小節です。参考資料1(初版)、2(Vogl-Diabelli版)、3(旧全集版)、4(ペーター版)を較べてみてください。前奏の部分を弾いてもらいます。タイのついている場所によって音楽がこの様に違うのです。初版では間奏の44,45小節にだけタイがありますが、前奏と後奏にはタイは付いていません。Vogl版では一貫して総てにタイがついています。旧、新全集版では前奏の3,4小節(新全集は点線のタイです)と間奏の44,45小節にのみタイが付いていますが、前奏の7小節と後奏の80小節には付いていません。ペーター版では間奏の44,45小節のみにタイが付いています。どちらが皆さんには良いと感じられますか?どれを取るかは個人の趣味の問題になります。何故ならば、断定できる資料がないのです。

 

 メロディーでは24小節が全集版(参考資料5旧全集)とVogl版(参考資料6)でこの様に違いますが、Voglとしては些細な変わり方です。76小節も同様です。又54小節がVogl版(参考資料7)では装飾音符が短前打音ですが全集版(参考資料8旧全集)、ペーター版(参考資料9)では長前打音になっています。又Vogl版とSpina版では64小節と72小節に a piacere があり、66小節と74小節に in Tempo が書き加えられています。少し自由さがあっても良いと思います。

 

 歌詞では原詩 Meiner Sehusucht allerheissesten Schmerz, Durft ich aushauchen in Lieder Scherz,

が Durft ich aushauchen in Lieder Schmerz, に変わっています。何故Schmerzに変えたのか分りかねますが、初版とVogl版、Spina版、新全集(但し書きにMüllerはScherzであるとあります。)がSchmerzで、詩人Müllerの詩集と旧全集、ペーター版が詩人に忠実ならばScherzです。詩人として前の行と同じSchmerzで後韻をふみたくないのだと思いますし、詩の内容から行っても「悩みの歌」ではどうかと思います。

 

第13曲Mit dem grünen Lautenbande

 この曲ではメロディーや歌詞が非常に多く変えられています。何故なのか不思議なほどです。

 最初に全集版で歌い、直ぐVogl版の初版で歌いますが、練習すればするほどこんがらがって、どちらがどうなのか分らなくなるほどですが、聴き分けて下さい。

 冒頭のメロディーの違いに吃驚しませんでしたか?しかし幾つもついているターンはVogl版の初版にだけについています。

 資料集を見てください。初版、(参考資料10)Vogl版(参考資料11)、Spina版(参考資料12)、リトルフ版(参考資料13)[1,2ページ]、旧全集(参考資料14)、新全集(参考資料15)、ペーター版(参考資料16)を比べてください。

 その部分だけをVogl版、旧全集でもう一度歌います。

 

 詩集は

"Schad um das schöne grüne Band,

Daß es verbleicht hier an der Wand,

Ich hab das Grün so gern."

ですが、初版でアウフタクトのDaß が抜けて印刷されなかったために、旧全集(参考資料14)と新全集(参考資料15)の違いとなってしまったのです。

 その部分(4‐11小節)だけを初版、Vogl版、旧全集、新全集で歌ってみます。どの様に感じられますか?またどれが一番自然に感じられましたか?

 その後の部分(13小節から)ではVogl版の初版と再版楽譜ではなぜか2番と3番のテキストがかなり大幅に入れ替えをし、違っています。参考資料を見ながら違いを聴き分けてください。何故ここまでVoglが改竄したのか解りかねます。念の為にVogl版初版の2ページ目(参考資料17)と初版(参考資料10)を比較して見てください。全く詩を改竄しています。3番も同様ですが興味をお持ちの方は後でお尋ね下さい。Vogl版の再版、Spina版、リトルフ版ではシューベルトが書いたテキストに戻っています。

 フリードレンダーが書いた「シューベルト歌曲集第1巻」『校訂報告』には記載されていないものが多く、どの程度詳細に調べたのか不明な部分がありますが、Voglが改定して書いた自筆の楽譜が存在する事を記載しています。1884年にはヴィーンのお医者さんDr. Standhartnerが所有していたとの事で、この楽譜でDiabelli版が作られたと書かれてあります。

 

第14曲Der Jäger

 この曲はテンポが速く言葉を喋るだけでも大変なだけに装飾をする暇がなかったのであろうと思われます。違いは全く有りません!不思議なほど何も変えておりません。

 しかしこの早い喋りでもフレーズにいる表現は変えなければなりません。良い方法としては気持ちをこめて少しユックリ目に朗読する事です。所謂deklamierenをする事なのです。メロディーを歌わずに感情を込めて、イメージを描きながら朗読を続けていると、自然に早い喋りでも表情豊に歌えるようになるものです。ある時には8分休符で、またある時には小節縦線で気持ちを切り替えなければなりません。それはユックリのテンポで身につけなければならないのです。

 

第15曲Eifersucht und Stolz

 この第15曲は伴奏部にかなりの変化があります。小さい違いを指摘すると限がないと思いますので、大きな違いだけに致します。

 伴奏の違いでは26小節1拍の左手ですが、初版(参考資料18)、Vogl版には25小節と同様に4分音符がありますが、他の版(参考資料19旧全集)には有りません。この歌曲集で唯一残っている自筆楽譜では右手は繰り返しの記号ですし、左手には全休符が書きこまれていますので、本来は音がありません。しかし歌う方としては1拍目に音があると大変気が楽になります。

 

 29‐30,31‐32、33‐36小節左手のタイは初版とVogl版には付いていませんが、自筆楽譜には明瞭にタイが書かれているのでミスプリントなのか意識的タイを取ったのか不明です。この部分は弾いてもらいますので良くお聞き下さい。

 

 Vogl版の39b小節(参考資料20)から「ここまで変えるか」が始まります。43b、47bも同様です。初版(参考資料21)その他ではこの様な違いはありません。

 

 歌唱部では49小節から色々変わりますので小節番号も55a, 55b、55cと言うように全体で6小節も増えてきます。念の為に48小節から66小節くらいまでを参考資料(参考資料22リトルフ版)として掲載致します。Vogl版ではこの様に編曲されていますが他の楽譜では旧全集(参考資料23)と同じように作曲されたままで出版されています。この部分だけを歌い比べますのでお聴き下さい。この曲ではVoglが増やした小節を小節数プラスb, c で記しました。

 78小節から90小節の歌の終わりまでメロディーが違っていますので比較してください。Vogl版(参考資料24)、旧全集(参考資料25)の違いを聴いて下さい。

 

第16曲Die liebe Farbe

 この曲では松葉印に少々の違いがあるだけで変わっていません。この有節歌曲も表現にはそれぞれの節による表現の変化をつけることが非常に大切です。

 常々学生にも話している事ですが、「有節歌曲における表情記号や強弱記号は1番にだけ有効で2番以降は詩の内容に従うべきで、楽譜に書かれていることと全く逆でもかまわない!」のです。

 

第17曲Die böse Farbe

 この曲も些細な装飾音がVoglによって加えられた事と25小節の伴奏左手の音が初版(オリジナル) (参考資料26)以降Vogl版初版、再版、リトルフ版は最初の16分音符がgでSpina版と旧(参考資料27)、新全集、ペーター版はaです。聴き比べてください。

 最後のメロディーがVogl版(参考資料28初版)のみ他の版(参考資料29新全集)と違ったメロディーになっていますので、聴き比べてください。

 残念な事にこの歌曲集の自筆楽譜は第15曲目の他にはシューベルト自身が中声用に移調した7,8,9番目の歌以外には紛失して存在しないので、シューベルトがどの様に作曲したのか解明できません。いずれは「白鳥の歌」も取り上げますが、自筆楽譜が残っており、出版されたのは彼の没後1829年の5月ですので彼が校正をしたとは考えられませんが、自筆譜との違いが幾つも存在しますし、結構大切な場所に違いがあるのです。自筆楽譜が必ずしも絶対ではありませんが非常に大切である事は想像がつくことと思います。

 

第18曲Trock'ne Blumen

 この曲から最後の「小川の子守唄」までの劇的な移行、つながりは大変重要ですので最初にオリジナル版で続けて歌います。

 次に各曲について話をして比較します。5小節と19小節の2拍目の8分音符を一音上げて装飾しています、8小節、12小節と26小節では8分音符2個分を3連音符にかえています。(参考資料30旧全集) (参考資料31Vogl再版)

また37、46小節と50小節では言葉のつけ方をVogl版(参考資料32)とオリジナル版(参考資料33初版)ではこの様に違います。

 

 第19曲Der Müller und der Bach

 この曲では29小節に今までにもありましたが付点音符に変えた部分がありますが、所謂短前打音や長前打音の類を加えたような変奏が多々見られます。例えば52小節から58小節を初版(参考資料34)とVogl版(参考資料35)で比較してください。歌うとこの様な違いです。

 メロディーを80小節でまた3連音符(参考資料36Vogl版)にしています。

 

第20曲Des Baches Wiegenlied

 この曲は原調版のVogl版(参考資料37初版)では所謂原調より3度低くハ長調で印刷されており、中声用のSpina版(参考資料38)と同じ調になっています。

 

 8小節の言葉のつき方が初版(参考資料39) では8分音符2つずつと8分音符3つと1つに付けるように楽譜では印刷されてありますが、どの節をどの様につけるか不明瞭に印刷されています。Vogl版と旧全集(参考資料40)では8分音符2つずつに統一されており、ペーター版(参考資料41)では色々版によって違い、新全集(参考資料42)では3対1に統一されています。

 19小節のメロディーはなぜかかなり簡単になっています。オリジナル(参考資料43旧全集)では6度の跳躍が、Vogl版(参考資料44)では4度の跳躍になっています。

 「美しき水車屋の娘」のVogl版を歌ってみて感じる事は如何にこの時代は(良く言うと)伸び伸び自由に歌っていたのではないだろうかと言う事です。現代の我々には考えられないような気ままな自由さがあったであろうと想像できるのです。「VoglはItalienische Schuleでaufgewachsen warなのでそのPraxisをシューベルト歌曲に取り入れた。」とフリードレンダーは『校訂報告』で書いています。

 しかしVoglは「美しき水車屋の娘」だけを歌ったのではなく、多くのシューベルト歌曲を世に広め紹介した功績は多大です。この歌曲集以外にもVogl版が存在して然るべきだと思います。勿論それぞれの時代的な趣味の問題で、恐らく現代ではVogl版でリサイタルをしようとは誰も思わないでしょうが。

 

 ご質問、不明な点がありましたら遠慮なくどうぞ

 今回は質問は有りませんでしたので、終わりました。次回は伸び伸びになっていましたWolf作曲のGoetheとEichendorff歌曲集より選曲して話をしながら歌います。

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